開府500年コラム地名の由来11~「塩部」~
2019年1月1日「こうふ開府500年」の開幕です。
地名の由来
『甲斐国志』によると、溝の水に塩気があったことから。文治2(1186)年の「醍醐寺文書目録」では、「塩戸(しおべ)庄(荘)」、戦国時代には「塩部郷」と記されている。
どんなまち?
- 山の手通りや富士見通り、中央線、相川を境に、まちの中央をアルプス通りが走る
- 塩部遺跡がある。甲府工業高校改築時の発掘調査では、土器や勾玉(まがたま)、日本最古級の馬の歯、木製の人形(ひとがた)、相川の旧流路、甲府空襲の焼夷弾などが出土
- 甲府城築城の際、塩部村民は旧横沢町周辺への移住が命じられた。家と田畑が遠くなり困った村民は、甲府代官に村の復興を嘆願。中井清太夫(せいだゆう)が代官の時、復村が許されたことから、村民は大いに喜び、清太夫の祠(ほこら)を建立。神明神社に祀られている
- 関屋往還(現在の県道6号甲府韮崎線の一部)が通り、その起点に関屋地蔵が安置されていた。僧の元通(げんつう)が勢州(三重県)の「関の地蔵」を模して建立したといわれる。昭和40年代、塩部派出所建設の際、現在地(緑が丘1丁目)に移転
- 「塩部田んぼ」といわれた水田地帯は戦後いち早く宅地化が進み、住宅や商店が増加した
- 朝日小学校や甲府工業高校、駿台甲府高校がある
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