更新日:2018年5月29日

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開府500年コラム 地名の由来12~「右左口」~

 甲府と駿河を最短距離で結んだ中道往還の宿場町として古くから栄えた右左口は、戦国時代には「姥口」・「祖母口」・「上口」とも記され、いろいろな由来が伝えられています。

地名の由来

  1. 左口(さぐち)神社説:地域を守る左口神社は昔から「うさんぐちさん」と呼ばれ、「うさぐち」が訛った
  2. 分岐点説:駿河から中道往還を来た場合、右左口で右と左、二手に分かれることから
  3. 優婆夷(うばい)説:修験の祖・役小角(役行者)が開祖の円楽寺があり、古くから多くの修験者や富士への登山者に親しまれていた。円楽寺が右左口で大きな力を持っていたことから、役小角の母である「優婆夷」に由来
  4. 宿場説:甲府から駿河へ向かう際、右左口を過ぎると峠道になり、乳飲み子を連れていくのは大変なため、宿場にいた「乳母」に由来
  5. 地形説:甲府の盆地から眺めると、「山姥が左右に大きく裂けた口を開いたように見える」ことから

どんなまち?

  • 多数の遺跡がある。後呂遺跡(縄文~古墳時代)は人面装飾付土器やパンツをはいた土偶など珍しいものが出土している
  • 天正10(1582)年、武田氏滅亡後、織田信長が宿泊した。右左口宿は、帰国する信長のために徳川家康が整備したといわれ、家康も本能寺の変の後、1週間滞在した。仮御殿(本陣)跡や朱印状など家康ゆかりのものが多く残る
  • 人形浄瑠璃が伝承されている。家康から関所の通行や海産物の売買・運送を免税する朱印状を与えられたことに感謝して「御朱印祭り」が始まり、そこで上演されたといわれる。江戸時代を最盛期に、明治初期に上演中止、大正初期に姿を消したが、現在は有志によって保存・伝承活動が行われている。古文書を含め人形など用具一式は県指定有形民俗文化財
  • 県の自然記念物「日蔭山の枕状溶岩」がある
  • 歌人・山崎方代の出身地

こうふ開府500年テレビ番組
「甲府31歴史探訪」放映中!NNS(11ch)

【放送時間】毎日2回・各15分
日曜日・月曜日・水曜日・金曜日➡午後6時/午後10時
火曜日・木曜日・土曜日➡午後6時/午後9時

6月

1日(金曜日)から 国母地区
16日(土曜日)から 琢美地区

7月

1日(日曜日)から 相川地区
16日(月曜日・祝)から 羽黒地区

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