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更新日:2024年4月12日
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「甲斐善光寺」とも称されている甲府の善光寺。正式な名称は長野の善光寺と同じく「定額山浄智院善光寺」です。資料によると、善光寺を正式な寺名とする寺院は全国に119寺あり、さらに善光寺式阿弥陀三尊像は443体あるといわれています。甲斐の出来事が書かれている『王代記』によると、甲斐の善光寺は永禄元年(1558)、武田信玄が川中島の合戦の際、信濃の善光寺が戦火に巻き込まれるのを憂慮して、本尊や寺宝・僧侶などを甲斐に移したことに始まると伝えています。
創建当時の建物は宝暦4年(1754)の火災によって焼失してしまいました。現在の本堂は明和3年(1766)に再建に着手し、30年の歳月をかけて寛政8年(1796)に落慶したものです。山門とともに江戸時代中期を代表する建造物として国指定重要文化財となっています。
本堂を上空から見ると、屋根の形が東西棟と南北棟で「T字」を形成する特殊な構造をしています。梵鐘を打つ撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造」(しゅもくづくり)と呼ばれています。
また、山門も江戸時代に再建されたものですが、棟札の記述から本堂より早く再建されたことがわかります。なお、山門の両脇に仁王像が安置されていますが、なぜか未完成のままと考えられています。
木造源実朝坐像は、鎌倉時代に作られました。現在、教科書や歴史書、参考書等で広く紹介されています。令和元年度、解体修理とともに年輪年代測定、放射性炭素年代測定も行いました。結果、実朝が亡くなった1219年の直後、1222年以降のそれほどを経ない年代に伐採された檜(ひのき)材で作成されたことが判明し、実朝像としては国内最古であることが実証されました。また、体幹部・頭部等の漆の分析から1400年代に修理された可能性が高いこともわかりました。この像は、善光寺境内の宝物館で公開されています。
修理前(写真左)と修理後(写真右)の実朝像
すべての部材を解体して修理しました。
修理前(写真左)と修理後(写真右)の頭部です。玉眼(ぎょくがん=目の玉・眼球)の修理では、瞳の中央に墨を当て、白目と血走りを表現しました。
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生涯学習室歴史文化財課文化財係
〒400-8585 甲府市丸の内一丁目18番1号(本庁舎9階)
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