更新日:2019年12月23日

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銚子塚古墳附丸山塚古墳(ちょうしづかこふんつけたりまるやまづかこふん)

銚子塚古墳附丸山塚古墳

銚子塚古墳は、笛吹川左岸に連なる曽根丘陵の北麓に位置し、前方部を東に向ける前方後円墳です。
墳丘の規模は、全長169m、後円部の直径92m、高さ15mで、県内で最大規模を誇る古墳です。古墳時代前期のものとしては、東日本でも最大級です。墳丘は後円部が3段、前方部が2段で築かれ、葺石(ふきいし)と埴輪(はにわ)列の外部施設を持つことから、大和王権とのつながりが指摘されています。
古墳は昔の人のお墓で、埋葬された場所は後円部の中央の「竪(たて)穴式石室」という、石で囲まれた空間です。
石室内からは、大量の「朱」と青銅鏡5面、碧玉(へきぎょく)製車輪石・石釧(くしろ)、鉄剣、鉄刀、南海産スイジガイ製貝環(かいわ)などが出土しました。出土した鏡には三角縁神獣鏡も含まれることから、古墳周辺の地域がごく早い時期に、大和王権に組み込まれたことが想定されます。
また、銚子塚古墳の北東には、直径72mの丸山塚古墳(円墳)があり、この古墳も銚子塚古墳に続く首長の墓と考えられます。
ヤマトタケルノミコトが東征の帰路に、酒折宮で「御火焼之老人(みひたきのおきな)」と問答歌を交わし、即妙な返歌の褒美として、「東国造(あづまのくにのみやつこ)」の称号を与えたという伝説が古事記・日本書紀にあります。銚子塚古墳には、かなりの有力者が埋葬されたと見られていますが、この老人ではないかという説もあります。(写真提供:山梨県立考古博物館)

  • 区分…国指定文化財(史跡)
  • 指定年月日…昭和5年2月28日
  • 場所…下曽根町(県立考古博物館西側)

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