更新日:2014年1月31日

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銚子(ちょうし)塚古墳附(つけたり)丸山塚古墳

銚子塚古墳附丸山塚古墳

銚子塚古墳は、笛吹川の左岸に連なる曽根丘陵の北麓(ほくろく)に位置し、前方部を東に向ける前方後円墳です。

前方後円墳は、上から見ると「かぎ穴」のような形をしています。
墳丘の規模は全長169m、後円部の直径92m、高さ15mで、県内で最大規模を誇る古墳です。
古墳時代前期のものとしては、東日本でも最大級です。

墳丘は後円部が3段、前方部が2段で築かれ、葺(ふき)石と埴輪(はにわ)列の外部施設を持つことから、ヤマト王権とのつながりが指摘されています。

古墳は昔の人のお墓で、埋葬された場所は、後円部の中央の「竪(たて)穴式石室」という、石で囲まれた空間です。
石室内からは、大量の「朱」と青銅鏡5面、碧玉(へきぎょく)製車輪石・石釧(くしろ)、鉄剣、鉄刀、南海産スイジガイ製貝環(かいわ)などが出土しました。出土した鏡には三角縁神獣鏡も含まれることから、古墳周辺の地域がごく早い時期に、ヤマト王権に組み込まれたことが想定されます。

また、銚子塚古墳の北東には、直径72mの丸山塚古墳(円墳)があり、この古墳も銚子塚古墳に続く、首長の墓と考えられます。

銚子塚古墳以降、古墳の規模が縮小していくことから、ヤマト王権において甲斐地域の重要度が低下していったことが指摘されています。

写真:県立考古博物館所蔵

ヤマトタケルノミコトが東征の帰路に、酒折宮で「御火焼之老人(みひたきのおきな)」と問答歌を交わし、即妙な返歌の褒美として、「東国造(あづまのくにのみやつこ)」の称号を与えたという伝説が古事記・日本書紀にあります。
銚子塚古墳には、かなりの有力者が埋葬されたと見られていますが、この老人ではないかという一説もあります。

  • 区分…国指定文化財(史跡)
  • 指定年月日…昭和5年2月28日
  • 場所…下曽根町(県立考古博物館西側)

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